本当の「自分の感情」が分からなくなってきた!どうする?

最近「自分の感情」が、本当に「自分のもの」なのか、分からなくなってきた。そのように感じる方もおられると思います。どうしてこうなったのか?「心の偽り」の観点から筆者がお伝えします。

結論

それでもいいんです

解説

いつも喜怒哀楽を押し殺してきた

いつから

幼少より、自分の感情を押し殺してきた方は、家庭に何らかの原因があった可能性があると思います。心を閉ざす傾向があると、感情の起伏が少ない、よく言えば冷静沈着な大人になると思われます。

自分さえ我慢すれば

自分さえ我慢すれば丸く収まる、自分が犠牲になれば誰も文句を言わない、自分が支えれば落ちぶれずに済む、自分さえ、、、。あなたの優しさや責任感は素晴らしいです。いつも周りの為に、気を配って、気を遣って、率先して自ら引き受けて、自分の時間や労力を削って頑張ってこられました。人にあてにされ、人に利用され、いいように使われてきたことも承知の上です。別に「人から良く思われたい」と思ってやっている訳ではないのですが、性格ですので仕方がありません。

得たものは何か?

自分を押し殺し、苦労して我慢して、いったい何を得たのか?それは自分が求めていたものなのか?経験上、よく自分を押し殺しできましたので、これは本当に自分の人生か?と思うようになるこたもありました。そのおかげ!?で理想の人生というか、一般的な勝ち組人生に入ることができましたが、それが自分の本当の姿なのかといわれたら、分かりませんと答えるのかなと思います。

愛想笑いが増えた

愛想笑いのメリット

誰でも愛想よく接していると、「物事」が無難に済みます。生きる知恵でもありますが、自分と見解が違っても別に大事なく済むなら良しとする自分がいます。些細な事で対立や争いを起こすほうが下策だと分かっているので、事を荒立てません。

物事のひとつひとつは、それでいいのですが、だんだん自分から遠ざかっている気もしてきます。とりあえず愛想よく、とりあえず低姿勢が、とりあえず「物事」が無難に過ぎていきます。

愛想笑いのデメリット

無難な人生を過ごしていきますが、心に葛藤を抱えたままですので、いづれ疲れが溜まっていくでしょう。どこかで捌(は)け口を見つけておくことをおすすめします。しかし、変化を嫌うのでストレス発散や気分転換が苦手ではないでしょうか?みじかな人からの誘いやアドバイスをありがたく聞くと良いのかもしれません。

感動しなくなった

最近、感動しない

このごろ、映画を観ても、ドラマを見ても、歌を聴いても、本を読んでも、感動しなくなった自分がいませんか?なんだか「つまらない」と本気でイラッときたり、何も内容が頭に入ってこなかたりしていたら、ちょっと心がお疲れ気味なのかもしれません。

ずっと前から、感動しない

ずっと前からなら、人生の何処かで心に良くない変化が生じた可能性があると思います。たとえば、家庭内不和、イジメ、なんらかの暴力など。または、それらが積み重なった場合などもあるでしょう。まずは、原因を見つけることから始めてみてください。でも、辛いなら無理なさらずに。

感動は無いし、ネガティブ思考だ

何もかもネガティブで、全て相手が悪い、自分は正しいと、いう方、または、それに近い方もおられると思いますが、それもまた人生でしょう。他人がとやかく言うことでもありません。

社会では怒れない

社会では「自分の感情」を出さない

昨今はハラスメント対策で「怒る」などの「自分の感情」は、もはや論外で態度や言葉遣いに、今まで以上に気を遣わなくてはなりません。「昔は〜」は、もう通用しません。他の「自分の感情」も、自分だからとストレートに言葉や態度に出すことも、時には相手にとっては、ハラスメントと受け取られる可能性が大いにあります。感情を表に出す前に考えるか、または最初から出さないなどの対策が必要です。

社会での立ち振る舞いは?

必要以上に注意が必要です!というかハラスメントについて、しっかり勉強することが大切です。今と昔では全く違うことも多いので、思い込みは禁物です。また、常に新しくハラスメントの定義が変わっていきますので、定期的に知識を更新することをおすすめします。特に中高年にとっては「この程度で」とか「そんなことで」みたいな些細な(失礼)!?ことがハラスメントになっている昨今です。本当に気をつけていても、知らないことがハラスメントに繋がっていますので知ること(勉強)が必須です。

人に対しては?

もはや、年齢、性別、体型、人種などの会話はNGでしょう。込み入った話を聞くことや話すことも控えたほうが良いですし、当たり障りのない話題に終始するのが自分の身を守ることにつながります。ホントに天気の話ぐらいしかできないなと、個人的には考えています。

自分の考えを貫けない

なぜ、周りに流されるのか?

人と違った事をすると、目立ちます、そして変な目で見られる恐れがあります。それでも自分を貫けるのか?大概の人はNOでしょう。人と同じなら安心にも繋がりますまた、無理をしないことも、ひとつの生き方です。

自分を貫いた人生とは?

自分は安定した人生を構築するのが精一杯だった人間ですので、自分を押し殺し、周りに流され、我慢に苦労を重ねて今に至ります。マイナスからスタートした自分にとっては、安定させることが第一でしたので「自分を貫く」以前のことに終始した前半生でした。

「自分を貫く」=「自分勝手」=迷惑(失敗)

失敗した人のイメージです。私はこれでマイナスからのスタートになりました。私的には成功者のみが「自分を貫いた」と言えるのではないでしょうか?

貫けない自分はダメなのか?

「自分を貫いた」人生の成功者は少ないでしょう。大部分の方は自分を曲げ、人に流され、時には自分を見失い、妥協して今を生きているのだと思います。それでも、その人の人生は素晴らしいですし、尊敬に値します。決してダメな類のものではありません。自分を卑下する必要もありませんし、自信を無くす必要もありません。

無難な方を選んでしまう

自分は楽をしているのか?

楽でもあり苦でもあるのではないでしょうか?でも、どちらかというと「苦」のほうが多いのでしょうか。「苦」でも無難な方を選んでしまう理由は、変な言い方ですが「楽」だからではないでしょうか?それほど「自分を貫く」ことは大変で難しいことであり、「力」や精神を消耗させることであり、時には敵を作ることもあるので、そこまでなくても、「自分さえ我慢すれば」に、なるのではないでしょうか?

波風立たないのがいちばん!?

ありきたりな、無難な人生が、平和な時代のいちばん良い生き方ではないでしょうか?戦争もない、飢餓もない、今日「生き延びる」ことを考えなくても良い、明日の目星をつけられる、こんな時代に生まれたことに感謝しつつ生きていけばいいのではないでしょうか。個人的には、そう思います。

まとめ

自分の感情が分からなくなっても、それもアリです。それでいいんです。「自分の心を偽っていないか」偽ってません。思い悩んで「息苦しさ」を感じることもありますが、全部が自分の「大切な」ひとつひとつです。「妥協」も「偽り」も、「どれが自分なのか」も、人に内包された人生の一部分です。それらを積み重ねることで、私達は人生の豊かさ、深さを得ることができると思っています。

みなさま、これからも人生の大切な「一部分」を積み重ねていきましょう!

この記事は私が書いたよ!

軍師のねこ

軍師のねこ

「自分の経験から皆さまに幸せのヒント」を、お伝えできればと思っています。妻子と暮らす50代。仕事はこの道一筋の職人系技術者

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